痛みを抱えた一人の人間、カオルさんのこと
『THE FIRST SLAM DUNK』観てきました!
(原作は擦り切れるほど読んでるけどアニメはほぼ見てない人間です)
映像音楽臨場感全部すごいとかOPかっこよすぎとか、この映画の好きなところ、すごいと思うところはたくさんあって語りきれない(&語彙力がない)のだけど、個人的にしみじみとよかったなぁと思い返しているのは、映画オリジナルのエピソードである宮城カオルさんの話。
子供が主役の映画における母親は「母親」というキャラクターであって「個」を感じることがあまり多くない。「母親」というだけで「そうあるべき姿」を背負わされ、そこから逸脱すればバッシングされるのは現実もフィクションも同じだ。
だけどこの映画における母親、カオルさんは「母親」というキャラクターに押し込められることなく、ちゃんと痛みを抱えた一人の人間として描かれていた。
リョータの母親、カオルさんは夫と死に別れ、頼りにしていた長男(リョータの兄・ソータ)まで事故で失うという悲劇から立ち直れずにいる。おそらくは夫という稼ぎ手を失って沖縄の田舎町では暮らせず、仕事を求めて本土に引っ越し(カオルさん自身は本土出身かもしれない)、ひとりで子供たちを育てている。
カオルさんは長男ソータの後を追うように成長するリョータと上手く向き合えなかった。それは最愛の兄を失ったリョータの傷をケアすることができなかったということでもあった。
カオルさんは恐らくそのことに自責の念を持っており、リョータは頼り甲斐のある兄でなく自分が生きていることに罪悪感を感じている。
二人の心は行き違ったまま、沖縄を離れても息子を奪った海を無言で見つめているカオルさんの横顔に胸が締め付けられる。
置き手紙を読んだカオルさんがインターハイを見に来てくれたことをリョータが知ったのかどうか、あなたはソータの代わりではないとカオルさんは伝えられたのか、二人の会話はほとんどなかったのでよくわからない。
だけど帰ってきたリョータがソータの赤のリストバンドをカオルさんに渡したとき、二人にしかわからない、二人にしか共有できない痛みがそこにあって、そこから逃れるつもりはないと、見えない手を繋いだように見えた。
この映画は原作にはあったモノローグをできるだけ排除している。
それはこの宮城家にまつわるオリジナルエピソードにさらに顕著で、リョータの気持ちはかろうじて置き手紙に残されるが、カオルさんの気持ちはほとんど言葉にされない。
だけど言葉にならないさまざまな描写のかけらがこの親子の揺れる感情を濃密に表現する。それはまるで上質なドラマのようだった。
これから先、リョータのユニフォーム姿を見るたびに、背負った7番と腕に巻かれた赤のリストバンドに秘められた記憶を思ってグッとくると思う。そして向き合うことを始めたカオルさんとリョータの、二人のそれぞれの痛みが少しずつでも癒されますようにと願うのだ。
それにしたって20年以上前に完結した漫画のキャラクターにまたこんなにも激重な感情を持つとは思わなかったですね……年内は厳しいかもしれないけどもう一度見に行けたらなーと思ってます!
井上監督もスタッフさんも声優さんもそしてこの映画にまつわるみなさん、ありがとうございました!