浜辺にて

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一杯の温かいお茶をあなたに

ひさびさに本の感想を書きたいと思います。柚木麻子さんの『オール・ノット』です。Twitterを見てくれてくれる方はご存知かと思いますが、最近わたしはY2K新書というPodcastにどハマりしてて、柚木先生はそのパーソナリティの一人でもあり、なんだか最近柚木麻子祭りです😂

 

さてそんな柚木麻子さんの最新刊である『オール・ノット』。

主人公・真央は奨学金とバイト代で学費と生活費を工面する、いわゆる苦学生です。そんな真央がバイト先で不思議な中年女性・四葉さんと知り合います。

試食販売を専門とするその四葉さんは地域の小売業では有名な存在で、彼女が売ればどんな商品でも不思議と売れると評判の人でした。なぜか自分に優しくしてくれる四葉さんと親交を深めた真央は、最初は固辞したものの言いくるめられ、四葉さんが祖母から譲り受けた宝石箱を貰うことになってしまいます。

金銭的に追い詰められていた真央は確かに助かったのですが、なぜかその後なんとなく四葉さんと距離を置くようになってしまいました。

卒業後、コロナ禍で就職できなかった真央は派遣会社で働きながら、以前四葉から貰ったオーダーメイドシャツチケットを使うために横浜・元町のテーラーを訪れます。その店はテーラーの看板はそのままに、韓流アイドルグッズを売る店に変わっていました。知り合いから貰ったとチケットを差し出した真央に、店主らしい中年女性が驚いて「もしかして、山戸四葉の知り合い?」と聞きます。

その女性は四葉の学生時代の親友であった実亜子、通称ミャーコでした。真央は彼女の話をたくさん四葉から聞いてました。そしてそこから真央はミャーコを通じて、自分が知る前の四葉、そして四葉の生まれ育った山戸家のストーリーを知ることになるのです。

 

四葉はなぜ真央に、ほとんど唯一の財産である宝石箱をポンと渡したのか。

山戸四葉という人はどんな人生を生きたのか。

真央と同じように知りたくて、次々とページを捲ることになります。

 

"all knot" or "all not"

本作のタイトル『オール・ノット』は"all knot"。パールのネックレスの糸が切れてもいきなりバラバラにならないよう、すべてのパールの間に結び目がある加工、のことだそうです(ジュエリー詳しくないので知りませんでした笑)。

だけど"all not"には「すべてダメではない」という部分否定の意味もあって、ダブルミーニングのタイトルになってます。読み終えると、なんていいタイトルだろうと感動してしまいました。

 

目には見えない影響、受け継がれるスピリット

結び目は、人と人の縁です。

山戸家の女たち、祖母・三葉、母・一葉、四葉の血縁で結ばれた濃い縁もあれば、ただ職場で知り合っただけ、という四葉と真央のような一時的な関係、学生時代はべったりだったのにいつしか音信不通となった四葉とミャーコの友情、そして本来は対立してもおかしくなかった一葉・四葉と舞の、忘れられない繋がりもありました。

だけどどんな関係もあったことは無かったことにならない。それぞれの関係性は独立しているのではなく、その人を媒体に他の人との関係性にも確実に影響を与えていきます。

例えば四葉の、舞や真央への惜しみない支援のもとにあった罪悪感は、母である一葉のスピリットが影響しているように思います。一葉はその母である三葉の成金主義を嫌って事業は継がず、女優仲間を守るための芸能事務所を経営しました。その背景にはベトナム反戦運動激しい時代に学生時代を過ごし、米軍相手に稼ぎまくる母への反発があった。

自分達の裕福な生活は誰かを踏みつけているのではないか?という母娘の不安はやがて、「りぼんのぼうし」事件に繋がっていきます。

戦争によって潤った街、という横浜の一面が描かれたのも新鮮でした。

 

早すぎた告発

この物語では、あるセクシャルハラスメントの告発と、それが引き起こした世間からのバッシングが描かれます。それは2010年初頭のことでした。

MeTooが世界に広がったのは2017年のこと。2010年初頭の日本にはまだ、弱い立場の人間から著名人に対するセクハラの告発を受け入れる土壌はありませんでした。

正直今この小説を読んだ2023年の日本だってきちんと受け入れているわけではないと思います。#MeToo以降のたくさんの告発の中にはスルーされてるものの方が多いはずです。それでも、告発者を責めてはいけない、守るべき、という風潮はなんとか形成されているのではないと思います。

作中の告発もまた、時間を経て世間の受容が変わります。変わるべきは社会なのだ、とこの物語は教えてくれます。

 

誰もが生きやすい社会のために

またこの物語は、現代日本の貧困問題を描きだします。

主人公・真央も学生時代は実家からの援助はゼロで、奨学金という名の借金に日々脅かされていました。また派遣として働き出しても生活は苦しく、正社員との格差に傷付きます。自身が契約社員に昇格し、店長として若いバイトを使う立場になれば、自分の学生時代よりさらに経済的に辛い立場に追い込まれている若者たちに心を痛めます。

自分が四葉に助けられたように、真央も誰かを救いたいと思います。だけどそれが何になるのか。穴の空いたバケツで水をすくっているようなものです。

人の縁や善意のような、宝くじに当たるようなラッキーがないと生き抜けない人がいるってどうなの?と再びこの物語は社会の責任を問います。

だけどその一方で、人の縁や善意の尊さをこの物語は讃えます。完璧な社会などあり得ない以上、人の縁や善意もライフラインの一つです。そんなものがない殺伐とした社会には住みたくない。そして自分が受け取ったものをまた別の誰かに渡したい、という気持ちの美しさ。

それが役に立っても立たなくても、"all not"、きっと何の意味もないわけじゃない。

誰もが生きやすい社会を実現するには、公的な支援の枠組みと、誰かを思いやる個人の気持ちの、その両方が必要なんだろうと思います。

 

 

 

わたしも誰かにきゅうりのサンドイッチといっぱいの温かいお茶を手渡すことができるだろうか。それができる自分になりたいと、思わせてくれる物語でした。

そして今は会わなくなった、学生時代の友人や昔の職場の同僚のことも久しぶりに思い出しました。教えてくれた小説や一緒に夢中になってたドラマ、些細な会話が時折蘇ります。もう連絡することはなくても、一緒に過ごした時間は記憶が薄れても、自分の中の一部になっています。

みんな元気でいてくれるといいな。